【コラム】HMVの凋落、文化の岐路に立つ日本
かつて、街角で音楽を語り合う若者たちの熱気と、CDのジャケットが並ぶ棚の海に心を躍らせた世代も少なくないだろう。HMV。その名前を聞くだけで、多くの日本人が鮮やかな記憶を呼び覚まされるに違いない。しかし、そのHMVが、かつての栄光の地、渋谷の地から姿を消すというニュースは、単なる一企業の終焉にとどまらない、我々が共有してきた文化のあり方そのものへの問いかけである。
CDショップという物理的な空間が、音楽体験の中心であった時代。そこには、店員との会話から新たな音楽との出会いがあり、偶然の発見から世界が広がる喜びがあった。デジタル配信という便利さ、そしてストリーミングサービスという手軽さが、私たちの音楽との関わり方を劇的に変えたことは間違いない。それは時代の流れであり、文明の利器の恩恵であるとも言える。
しかし、その一方で、我々は何を失いつつあるのだろうか。HMVの店舗が減りゆく現実を前に、私たちは立ち止まって考えるべきではないか。音楽を「所有する」という行為から、「利用する」という行為への変化。それは、作品そのものへの向き合い方、ひいては文化への敬意のあり方にも影響を与えかねない。CDのジャケットに込められたデザインやメッセージ、歌詞カードに記された想い。それらは、単なるデータファイルでは決して再現できない、物質としての存在感と、そこから生まれる感性との対話であった。
もちろん、デジタル化の恩恵は計り知れない。地理的な制約なく、世界中の音楽にアクセスできるようになった。これは、文化の多様性を享受する上で、大きな進歩である。しかし、だからといって、かつて人々が集い、音楽を共有し、語り合った場所の価値が失われたわけではない。むしろ、その場所が失われつつある今だからこそ、その重要性を見直すべきではないか。
HMVの店舗は、単なる物販の場ではなかった。それは、若者たちの青春の舞台であり、音楽愛好家たちの聖地であり、そして、文化が息づくコミュニティであった。その跡形もなく消え去る前に、我々は何ができるのだろうか。
これは、HMVという一企業の問題ではない。むしろ、文化をどう捉え、どう次世代に伝えていくのかという、日本社会全体への問いかけである。便利さや効率性だけを追求し、文化の物質的な側面や、そこから生まれる人間的な繋がりを軽視するならば、我々はかけがえのないものを失うことになるだろう。
HMVの渋谷店閉店は、一つの時代の終わりを告げているのかもしれない。しかし、それはまた、新たな文化のあり方を模索する始まりでもあるはずだ。我々一人ひとりが、音楽だけでなく、本や映画、そして地域に根差した文化に対する関心を深め、それを支える努力を惜しまないこと。それが、失われゆくものへの弔いであると同時に、未来への希望を灯す光となるのではないだろうか。
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